2002.5.10 Fri.
障害物生活。
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読んだら、押してみるの方向で…
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僕は、11年前の8月8日に都に出て独り暮らしを始めるまでを、 日本発条と同じ略称の放送局の、歌唱戦争番組で真っ赤なポルシェを真っ赤なクルマと唄わされたことのある醒めた表情の美人歌手と、 米軍基地と写真集が出版されて話題にもなった総理大臣で有名な街で生まれ育ちました。
旧幕府跡のある若大将や青大将といった群雄が割拠する海水浴場からもそう遠くない温暖な気候のその街では、 記録的と称させる時でさえ積雪はわずか30センチほどでした。 スキーやスノボ*1などのウィンタースポーツや、かまくらといった雪国の風俗は遠い異国か、絵本の中のおとぎの国の光景でした。
成人して暫く経ってから、 突如友人に拉致されて雪国に誘拐された時にみた辺り一面の銀世界に、子供の頃夢見ていたものを目の当たりにすることができた幸せと感激を味わいました。
大人になってよかったと。
また話は変わりますが子供時代、 秋の運動会においてはパン食い競争と借り物競走、障害物競争が憧れでした。 しかし、そのいずれもが我が母校においては公式競技にはならず、 その競技はマンガやテレビの中だけのものでした。
少年の僕は、 両手を後ろ手に縛られ、自由を奪われた状態で、 命をつなぐために必至で食べ物に飛びつこうともがく様を嘲笑される事に耐えるというSMプレイじみた競技や、
決して逆らうことの許されない理不尽な命令の強制力に屈しながら、 まるで愛する子供の病気を癒すことの出来る唯一の薬を求めるかの如き必死さで、 見ず知らずの他人の、 まるで価値があるのかないのかわからないものを頭を下げて借り受けることに全力を尽くしたりという、 まるで仕事のために尊敬も出来ない赤の他人にへこへこする営業マンの悲哀の暗喩のような競技に、 子供らしく憧れていたものです。
そして大人になった今、 玄関のドアにたどり着くにも、将棋を指すように慎重に足運びを考え、細心の注意で積み上げられた価値あるもの達が築き上げた山を崩して仕舞わぬように、一歩一歩の歩みに神経を使いながら進まねばならぬ生活を手に入れることができました。
ああ、大人になってよかった…?
てゆーか部屋の掃除をしろ>オレ
もう、誰か助けて…
*1 ごめん。嘘つきました。その頃もちろんスノボなんてありません。
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